311子ども甲状腺がん裁判の第一回口頭弁論 5/26

5/26に行われた「311子ども甲状腺がん裁判の第一回口頭弁論 」の報告です。


皆様 
長文ですがお許しください。
311子ども甲状腺がん裁判の第一回口頭弁論が26日、東京地裁で行われました。
私も含め230名ほどが27枚の傍聴券を求めて並びました。
抽選に外れ、口頭弁論と並行して開催された支援集会に参加しました。
そこでチェルノブイリ原発事故の時プリピャチで被曝(当時赤ちゃん)したカテリーナ・グジーさんのお話と歌を聴きました。
3月にキエフ(キーウ)から日本に避難してきたお母様も一曲歌われました。
その後、口頭弁論終了後に駆け付けた弁護団による報告会が行われました。
OurPlanet-TVによる下記のビデオ【3分間】で入廷行進と、終了後の記者会見の際の井戸弁護団長の発言一部を見ることができます。
短いですのでぜひご覧ください。
https://ourplanet-tv.org/45026/

報告集会で井戸弁護団長、河合副団長らは、この日の裁判のハイライトは原告の20代女性の意見陳述だったと語りました。
彼女は原発事故の時中学3年生でした。その後がんが見つかり手術。
大学に進学しましたが再発と転移により中退し、治療中心の生活を送っています。
過酷な放射線ヨウ素治療を受けたときのことや今の思いを17分にわたり語られたそうです。
なおこの中で語られているヨウ素治療については、私もキエフの内分泌研究所で、
子どもが閉じ込められるような治療用の部屋を見せていただき、
その中で何日も子どもが一人でじっと耐えることの苦しさを知っているつもりでした。
しかし彼女の陳述を聴き、この治療を子どもに強いるむごさを改めて感じさせられました。
報告集会で流された、前日に彼女が練習として読んだ時の録音音声を聴くことができます。
https://youtu.be/cwvvJAH_h3E

彼女の意見陳述要旨を下記に転載します。多くの人に読んでほしいと本人と弁護団は希望しています。

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あの日は中学校の卒業式でした。
友だちと「これで最後なんだねー」と何気ない会話をして、部活の後輩や友だちとデジカメで写真をたくさん撮りました。
そのとき、少し雪が降っていたような気がします。
地震が来た時、友だちとビデオ通話で卒業式の話をしていました。最初は、「地震だ」と余裕がありましたが、
ボールペンが頭に落ちてきて、揺れが一気に強くなりました。
「やばい!」という声が聞こえて、ビデオ通話が切れました。
「家が潰れる。」
揺れが収まるまで、長い地獄のような時間が続きました。

原発事故を意識したのは、原発が爆発した時です。
放射能で空がピンク色になる」そんな噂を耳にしましたが、そんなことは起きず、危機感もなく過ごしていました。
3月16日は高校の合格発表でした。
地震の影響で電車が止まっていたので中学校で合格発表を聞きました。
歩いて学校に行き、発表を聞いた後、友達と昇降口の外でずっと立ち話をして、歩いて自宅に戻りましたが、
その日、放射線量がとても高かったことを私は全く知りませんでした。

甲状腺がんは県民健康調査で見つかりました。
この時の記憶は今でも鮮明に覚えています。
その日は、新しい服とサンダルを履いて、母の運転で、検査会場に向かいました。
検査は複数の医師が担当していました。検査時間は長かったのか。短かったのか。
首にエコーを当てた医師の顔が一瞬曇ったように見えたのは気のせいだったのか。検査は念入りでした。
私の後に呼ばれた人は、すでに検査が終わっていました。
母に「あなただけ時間がかかったね。」と言われ、
「もしかして、がんがあるかもね」と冗談めかしながら会場を後にしました。
この時はまさか、精密検査が必要になるとは思いませんでした。
精密検査を受けた病院にはたくさんの人がいました。この時、少し嫌な予感がしました。
血液検査を受け、エコーをしました。
やっぱり何かおかしい。自分でも気づいていました。
そして、ついに穿刺吸引細胞診をすることになりました。
この時には、確信がありました。私は甲状腺がんなんだと。
わたしの場合、吸引する細胞の組織が硬くなっていたため、なかなか細胞が取れません。
首に長い針を刺す恐怖心と早く終わってほしいと言う気持ちが増すなか、3回目でようやく細胞を取ることができました。
10日後、検査結果を知る日がやってきました。あの細胞診の結果です。
病院には、また、たくさんの人がいました。結果は甲状腺がんでした。
ただ、医師は甲状腺がんとは言わず、遠回しに「手術が必要」と説明しました。
その時、「手術しないと23歳までしか生きられない」と言われたことがショックで今でも忘れられません。
手術の前日の夜は、全く眠ることができませんでした。
不安でいっぱいで、泣きたくても涙も出ませんでした。でも、これで治るならと思い、手術を受けました。

手術の前より手術の後が大変でした。
目を覚ますと、だるさがあり、発熱もありました。
麻酔が合わず、夜中に吐いたり、気持ちが悪く、今になっても鮮明に思い出せるほど、苦しい経験でした。
今も時折、夢で手術や、入院、治療の悪夢を見ることがあります。
手術の後は、声が枯れ、3ヶ月くらいは声が出にくくなってしまいました。
病気を心配した家族の反対もあり、大学は第一志望の東京の大学ではなく、近県の大学に入学しました。
でも、その大学も長くは通えませんでした。甲状腺がんが再発したためです。
大学に入った後、初めての定期健診で再発が見つかって、大学を辞めざるをえませんでした。
「治っていなかったんだ」「しかも肺にも転移しているんだ」とてもやりきれない気持ちでした。
「治らなかった、悔しい。」この気持ちをどこにぶつけていいかわかりませんでした。
「今度こそ、あまり長くは生きられないかもしれない」そう思い詰めました。
1回目で手術の辛さがわかっていたので、
また同じ苦しみを味わうのかと憂鬱になりました。手術は予定した時間より長引き、
リンパ節への転移が多かったので傷も大きくなりました。
1回目と同様、麻酔が合わず夜中に吐き、痰を吸引するのがすごく苦しかった。
2回目の手術をしてから、鎖骨付近の感覚がなくなり、今でも触ると違和感が残ったままです。
手術跡について、自殺未遂でもしたのかと心無い言葉を言われたことがあります。
自分でも思ってもみなかったことを言われてとてもショックを受けました。
手術跡は一生消えません。それからは常に、傷が隠れる服を選ぶようようになりました。

手術の後、肺転移の病巣を治療するため、アイソトープ治療も受けることになりました。
高濃度の放射性ヨウ素の入ったカプセルを飲んで、がん細胞を内部被曝させる治療です。
1回目と2回目は外来で治療を行いました。
この治療は、放射性ヨウ素が体内に入るため、まわりの人を被ばくさせてしまいます。
病院で投薬後、自宅で隔離生活をしましたが、
家族を被ばくさせてしまうのではないかと不安でした。
2回もヨウ素を飲みましたが、がんは消えませんでした。
3回目はもっと大量のヨウ素を服用するため入院することになりました。
病室は長い白い廊下を通り、何回も扉をくぐらないといけない所でした。
至る所に黄色と赤の放射線マークが貼ってあり、ここは病院だけど、危険区域なんだと感じました。
病室には、指定されたもの、指定された数しか持ち込めません。汚染するものが増えるからです。
病室に、看護師は入って来ません。
医師が1日1回、検診に入ってくるだけです。
その医師も被ばくを覚悟で検診してくれると思うととても申し訳ない気持ちになりました。
私のせいで誰かを犠牲にできないと感じました。
薬を持って医師が2、3人、病室に来ました。
薬は円柱型のプラスチックケースのような入れ物に入っていました。
薬を飲むのは、時間との勝負です。
医師はピンセットで白っぽいカプセルの薬を取り出し、空の紙コップに入れ、私に手渡します。
医師は即座に病室を出ていき、鉛の扉を閉めると、スピーカーを通して扉越しに飲む合図を出します。
私は薬を手に持っていた水と一緒にいっきに飲み込みました。
飲んだ後は、扉越しに口の中を確認され、放射線を測る機械をお腹付近にかざされて、
お腹に入ったことを確認すると、ベッドに横になるように指示されます。
すると、スピーカー越しに医師から、
15分おきに体の向きを変えるように指示する声が聞こえてきました。
食事は、テレビモニターを通じて見せられ、
残さずに食べられるか確認し、汚染するものが増えないように食べられる分しか入れてもらえません。
その夜中、それまではなんともなかったのに、急に吐き気が襲ってきました。
すごく気持ち悪い。なかなか治らず、焦って、
ナースコールを押しましたが、看護師は来てくれません。
ここで吐いたらいけないと思い、必死でトイレへ向かいました。
吐いたことをナースコールで伝えても吐き気どめが処方されるだけでした。
時計は夜中の2時過ぎを回り、よく眠れませんでした。
次の日から、食欲が完全に無くなり、食事ではなく、薬だけ病室に入れてもらうことのほうが多かったです。
2日目も1、2回吐いてしまいました。
私は、それまでほとんど吐いたことがなく、吐くのが下手だったため、眼圧がかかり、
片方の目の血管が切れ、目が真っ赤になっていました。
扉越しに、看護師が目の状態を確認し、目薬を処方してもらいました。
病室から出られるまでの間は、気分が悪く、ただただ時間が過ぎるのを待っていました。
病室には、クーラーのような四角い形をした放射能測定装置が、壁の天井近くにありました。
その装置の表面の右下には数値を示す表示窓があり、私が近づくと数値がすごく上がり、離れるとまた数値が下がりました。
こんなふうに3日間過ごし、ついに病室から出られる時が来ました。
パジャマなど身につけていたものは全て鉛のゴミ箱に捨て、ロッカーにしまっていた服に着替えて、
鉛の扉を開け、看護師と一緒に長い廊下といくつもの扉を通って、外に出ました。

治療後は、唾液がでにくいという症状に悩まされ、水分の少ない食べ物が飲み込みづらくなり、味覚が変わってしまいました。
この入院は、私にとってあまりにも過酷な治療でした。二度と受けたくありません。
そんな辛い思いをしたのに、治療はうまくいきませんでした。
治療効果が出なかったことは、とても辛く、その時間が無駄になってしまったとも感じました。
以前は、治るために治療を頑張ろうと思っていましたが、今は「少しでも病気が進行しなければいいな」と思うようになりました。
病気になってから、将来の夢よりも、治療を最優先してきました。
治療で大学も、将来の仕事につなげようとしていた勉強も、楽しみにしていたコンサートも行けなくなり、全部諦めてしまいました。
でも、本当は大学を辞めたくなかった。卒業したかった。大学を卒業して、自分の得意な分野で就職して働いてみたかった。
新卒で「就活」をしてみたかった。
友達と「就活どうだった?」とか、たわいもない会話をしたりして、大学生活を送ってみたかった。
今では、それは叶わぬ夢になってしまいましたが、どうしても諦めきれません。
一緒に中学や高校を卒業した友達は、もう大学を卒業し、就職をして、安定した生活を送っています。
そんな友達をどうしても羨望の眼差しでみてしまう。
友達を妬んだりはしたくないのに、そういう感情が生まれてしまうのが辛い。
病院に行っても、同じ年代の医大生とすれ違うのがつらい。同じ年代なのに、私も大学生だったはずなのにと思ってしまう。
通院のたび、腫瘍マーカーの「数値が上がってないといいな」と思いながら病院に行きます。
でも最近は毎回、数値が上がっているので、「何が悪かったのか」「なぜ上がったのか」とやるせない気持ちになります。
体調もどんどん悪くなっていて、肩こり、手足が痺れやすい、腰痛があり、すぐ疲れてしまいます。
薬が多いせいか、動悸や一瞬、息がつまったような感覚に襲われることもあります。
また、手術をした首の前辺りがつりやすくなり、つると痛みが治まるまでじっと耐えなくてはなりません。
自分が病気のせいで、家族にどれだけ心配や迷惑をかけてきたかと思うととても申しわけない気持ちです。
もう自分のせいで家族に悲しい思いはさせたくありません。
もとの身体に戻りたい。そう、どんなに願っても、もう戻ることはできません。
この裁判を通じて、甲状腺がん患者に対する補償が実現することを願います。

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なお東京電力側は、この裁判は科学的根拠に基づいて行うべきだとしてこれまで原告の意見陳述に反対していたそうです。
しかし彼女の意見陳述後、原告弁護団が他の原告の意見陳述を認めるよう改めて主張した際には、東電代理人は反対できず裁判所に委ねると述べたそうです。
彼女の心からの訴えを前に反対しうる雰囲気ではなかったのです。
東電側は答弁書で、原告らは甲状腺がんを発症するほど被曝していないなどと反論しています。
次回の裁判は9月7日に開かれます。
この日の裁判で出されたたくさんの弁論資料は下記でダウンロードできます。
www.311support.net

この日のことは東京新聞はじめ各社が報じました。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/179735
また21日の報道特集原発事故と甲状腺がん」は原告の声も含め丁寧に報じていました。
https://cu.tbs.co.jp/episode/20093_2019960_1000021221

今それに対するに対する執拗なパッシングが起きています。
ツイッターでの嫌がらせにとどまらず、《科学的》批判を装った論考が発信され、拡散されています。
今の時点で主なものは下記です。
現代ビジネス https://gendai.ismedia.jp/articles/-/95524?imp=0
BuzzFeed  https://www.buzzfeed.com/jp/keitaaimoto/hodotokushu-tbs
日刊ゲンダイ 中川恵一 https://hc.nikkan-gendai.com/articles/277659

例えば中川東大医学部準教授はこう記しています。
「番組では、福島の原発事故による放射線の影響と甲状腺がんの関係を取り上げ、
原発事故に由来する子供の甲状腺がんが増えているとする論調ですが、明らかな間違いです。
放射線被曝による住民の健康被害は見られない。県の調査だけでなく、国連科学委員会など国際機関も同様に結論づけているのです。
…検査対象を広げたことで、「無害な甲状腺がん」を掘り起こしたのです。
…過剰診断の問題はまだあります。「無害」とはいえ、がんと診断された人はちょっと不安でしょう。それで、切除を勧められることがある。」
この国連科学委員会が昨年出した報告要旨は下記でご覧になれます。
https://www.unscear.org/docs/publications/2020/PR_Japanese_PDF.pdf
その一文を引用します。
「当委員会はまた、放射線被ばくの推定値から推測されうる甲状腺がんの発生を評価し、
子供たちや胎内被ばくした子供を含む、対象としたいずれの年齢層においても甲状腺がんの発生は見られそうにないと結論付けた。
被ばくした子供たちの間で甲状腺がんの検出数が大きく増加している原因は放射線被ばくではないと当委員会は判断している。
むしろ、非常に感度が高いもしくは精度がいいスクリーニング技法がもたらした結果であり、
以前は検出されなかった、集団における甲状腺異常の罹患率を明らかとしたに過ぎない。」
(なお報告書原本日本語訳は下記でみることができます
https://www.unscear.org/unscear/uploads/documents/unscear-reports/UNSCEAR_2020_21_Report_Vol.II_JP.pdf )
国際原子力機関原子力推進グループがイニシアチブを持つ国連科学委員会UNSCAREの見解に対しては世界の科学者からも批判がなされています。
そもそも前提となる子どもたちの被曝線量がわかっていません。
日本政府が検査しなかった結果です。
それにもかかわらず原発事故の影響ではないと断定することはさすがにUNSCAREもできません。
そこで上記の文でも『見られそうにない』としています。

またこの報告を紹介している首相官邸のサイトでも次のように記しています。
https://www.kantei.go.jp/saigai/senmonka_g66.html
「線量分布に関する情報が十分ではなかったために、
幼少期及び小児期により高い甲状腺線量を被ばくした人々の間で甲状腺がん発生率が上昇するかどうかについて、
UNSCEARははっきりした結論を導くことは出来ませんでした。
ただし、全体として甲状腺吸収線量はチェルノブイリ事故後の線量より大幅に低いため、
福島県チェルノブイリ原発事故の時のように、多数の放射線誘発甲状腺がんが発生すると考える必要はない」と結論づけています。」
多数の甲状腺がんが起こると考える必要はない(これは、小数の甲状腺がんなら起こりうる、ということを含んでいます)ということが
国連科学委員会の「結論」です。

被曝線量が高い子どもはチェルノブイリに比べれば少ないのは事実ですが、高い子がいなかったと断定することは科学的にもできません。
また少量であっても被曝線量に比例して甲状腺がんになるリスクが存在するということはUNSCAREも含め世界の科学者の見解であり、
被曝線量が少なくても甲状腺がんになる可能性は存在するのです。

また無害な甲状腺がんを掘り起こす過剰診断どころか、手術した子どもたちは、手術しなければ転移して危ないと医師が判断したのです。
過剰診断というのは苦しんでいる子どもたちと執刀した医師に対する冒とくです。

このような議論への批判は弁護団の裁判所への資料にも記されています。
また井戸弁護団長の講演とその際の資料も参考にしてください。
https://youtu.be/t8Vc5xqQkyU
井戸先生のスライド
https://www.palsystem-tokyo.coop/cms/wp-content/uploads/2022/04/ef207f605de47015841b978b037cee3c.pdf

私自身はこのUNSCAREの報告全体に様々な問題があると考えていますが、
たとえ百歩譲ってそれを認めたとしても、
福島の子どもたちの甲状腺がん原発事故とは関係ないと断定することはできないはずです。
報道特集」に対するいいがかりは、国連という権威を盾に、しかもその報告を恣意的に捻じ曲げてなされているのです。
さらに「現代ビジネス」の記事では、「情報災害」、「風評加害」などとののしっています。
このような一見科学的装いをした攻撃のまやかしとともに、そもそも彼らには苦しんでいる甲状腺がんの若者たちに対する想像力と人間的な思い、
そして事故を起こしてしまった私たち世代の責任に対する倫理観が全く欠如していることを見なければなりません。
このようなパッシングは、勇気をもって声をあげた若者たちをさらに傷つけることです。
それを許さないためにも、この裁判の意味を多くの人々に伝え、支援の輪を広げていきたいと思います。

小寺隆幸(チェルノブイリ子ども基金共同代表)

<このメールの転送を歓迎します。>