ユーラさんは子どもの頃、チェルノブイリ子ども基金の招待でウクライナの民族音楽団のメンバーとして来日したひとりです。
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11月18日
昨日は雪が降りました。きょうはもう冬の寒さです。
昨日、母は社会扶助の「旅行券」(そのように呼ばれていますが、正式名称は覚えていません)を受けとりました。
ソ連時代、人々がどこかで休暇を過ごせるようにと支払われました。
この支援金は年に1 回、75 UAH (フリヴニャ)支払われ、これは日本円にすると約 285 円です。
さあ、このお金でどこかに休暇に行きましょうか…
幸いなことに、年金はちゃんと支払われています。
今日、母と一緒に市場に買い物に行きました。
市場では店の4分の3ほどが閉鎖されていました。
電力施設への攻撃がある前は、
キエフ(キーウ)でお金に余裕のある人たちは、カフェに座ってコーヒーを飲んでいました。
いま人々は少人数で集まり、何かについてよく話し合うようになりました。
戦時中であるという雰囲気をますます彷彿とさせます。
町に出るたびに、貧しい人々がゴミ箱で何かを探している姿を目にします。
ゴミ箱の近くに誰もいないということは、まずありません。
2014 年以降だったら、そのような人はほとんどが高齢者でした。
でも今は、20~30代の若い男性も見かけます。
町では高齢者や障害者の姿をよく見かけます。
そのような人々に比べて、健康な人の姿がとても少ないときもあります。
障害者とは、幸運にも戦争から負傷して戻ってきた人々のことです。
高齢者の姿が目立つのは、町に若者がほとんどいないせいもあります。
私が通りを歩いていると、人々はいつも私のことを見て無言の質問をします。
「私の息子は戦争に行っているのに、なぜあなたはここにいるの?」と。
公園や家の近くの道路の修理が始まっています。
国にはお金がありませんが、公園や道路の修理のためのお金はあるようです。
友人の両親はキエフの一戸建ての家に住んでいて、電気も暖房もないと聞きました。
私の友人にも、同じような状況の人がいます。
私の暮らしているトロエシナ地区では水と暖房に問題はありません。
ここはキエフの他の地域よりも多くの電力が供給されていますが、それでも定期的に停電しています。
毎日停電が起きているため、新しい生活様式になっています。
電気がないと…
・料理ができない
- 買い物に行くことができない(電気がないと店も営業できない)
- 銀行のカードからお金を引き出すことができない (電気がないと銀行業務もできない)
- 電話が使えない(メッセージを書くことはできますが、送信には1-2時間かかります)
- 仕事ができない
電気が3〜4時間復旧すると、その時間をすべて仕事に費やしたいのですが、
食事も必要で、その前に店に買い物に行かなければならないし、
その前にカードでお金を引き出す必要があるかもしれません。
これを一度にやろうとすると時間が足りなくなってきます。
その後また停電になり、4〜5時間後にやっと食事をすると、
もう仕事をする気分でなくなります。
そして、また4〜5時間何も食べずに座って仕事をしようとすると、頭が働かず、もう仕事になりません。
これ以上書いていると、また突然電気が止まり、このメールを送れなくなってしまうので、これでおしまいにします。
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11月19日
写真を送ります。
母と食料の買い物に行くところです。

週に一度トロエシナで開かれる定期市の様子です。
できるだけここで食べ物を買うようにしています。
村の人たち(農家)が売っていて、自然の食べ物なので安全だし、店で買うよりも安いです。
